安珍清姫伝説で有名な釣り鐘です。豊臣秀吉紀州征伐の時に「戦利品」として京都へ持ち去られたとのこと。

善光寺如来像も(信濃)から武田信玄(甲斐)、織田信長(岐阜)、織田信雄(尾張)、徳川家康(遠江)、豊臣秀吉(京都)と渡り歩いてます。

豊臣秀吉は慶長2年(1597)の地震で崩壊した方広寺大仏の替りに本尊にすべく移仏するも翌年病没。
その後家康の手により信州へ帰仏。

手にする人が皆不幸になっているので、家康は手元に置かず、元の場所へ戻したのではなかろうか?