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ペトロ 岐部(ぺとろ きべ)
1587年豊後国国見にてキリシタン・ロマノ岐部の息子として生まれる。
幼くして洗礼を受け、長崎の有馬神学校を卒業、イエズス会の伝道師となる。
1614年に徳川家康のキリシタン禁教令によりマカオに追放される。
「神父」となるためにインドのゴア、ペルシャ、シリアを経て日本人として始めて聖地エルサレムを巡礼。
そして1620年にはローマへたどり着き、ついに念願の神父になる。
その後、日本でのキリシタン救済のため7年の歳月を経て帰国。
長崎での潜伏しながらの布教活動のあと仙台で布教を続けるも、1639年、仙台藩水沢で捕えられる。
厳しい拷問を受けるが「転び申さず候」と初志を貫き殉教した。
日本での資料がほとんど無い為、知られることの少ない人物。
実際、ペトロ岐部を発掘し日本に紹介したのは1934年に来日したフーベルト・チースリクというイエズス会のドイツ人神父で、
それまで日本人として最初の聖地巡礼者は、明治の文豪・徳富蘆花(徳富蘇峰の弟)と思われていた。
大友宗麟、有馬晴信、大村純忠らの支援による「天正遣欧使節」や伊達政宗の命による「慶長遣欧使節」と違い、
独力でヨーロッパに渡って悲願を成し遂げ、殺されることを知っていながらも日本へ戻るという強固な意志を持つ人物。
長崎の有馬神学校には天正遣欧使節の千々石ミゲルが在籍していたり、山田長政と同時期にアユタヤにいたりするので、
小説のネタにするには程よい虚実の混ぜ加減を持つ人物であると考えて調べると、案の定、遠藤周作が小説化していた。
能力値は水軍の得意な医師タイプ。ハッキリ言って使えません。
「太閤立志伝」よりも「大航海時代」に登場させる方がしっくりくる気がする。
(「大航海時代」シリーズは未プレイなので、登場確認が出来てません)
さらにどうでもいいことですが、この人物を知ったるきっかけとなったのは
- 大分土産に買った南蛮菓子だったりする。
- 販売元は「菊家」、ドン・フランシスコ共々結構いけます。